お大師さまとマンダラmandalaの教え

 中将姫さまの願いによって織り表された當麻曼荼羅は千手堂に祀られ、次第に多くの人々に知られるようになっていきます。その信仰の広まりとともに、千手堂は解体され拡張され、現在の大きな曼荼羅堂となり、當麻曼荼羅はいつからか當麻寺のご本尊として拝まれるようにまでなっていきました。 平安時代のはじめ。嵯峨天皇さまがある時、お大師さま(弘法大師・空海)に當麻曼荼羅の印義をお尋ねになりました。それを受けて弘仁十四年(824)秋、お大師さまが當麻寺をお訪ねになります。お大師さまは二十一日間曼荼羅堂にお籠もりになり、當麻曼荼羅の前で瞑想されました。この時、お大師さまは中将姫さまの想いを観じとられたのです。
それは「マンダラ(maṇḍala)の教え」でした。
マンダラ(maṇḍala)とは、仏法の境地や世界観を視覚的・象徴的に表したもので、主に、仏画でそれを表した「金剛界曼荼羅」「胎蔵曼荼羅」が"両部の曼荼羅"として知られています。仏教は唯一神や絶対仏を説きません。「真言宗は大日如来が絶対仏」と誤解される方もありますがそうではありません。「金剛界曼荼羅」「胎蔵曼荼羅」では、たくさんの仏菩薩たちが大日如来さまを中心にそれぞれの役割・はたらきをもってお互いに支え合い、補い合っています。これを「相互礼拝」「相互供養」といい、それが完成された調和の世界を「密厳浄土」とお呼びします。そしてその「密厳浄土」をこの世で実現しようというのが「マンダラ(maṇḍala)の教え」なのです。 當麻曼荼羅には、多くの仏菩薩、天人そして鳥たちまでもがお互いに慈しみ合って調和の世界を築いています。中将姫さまの願われた美しい「マンダラ(maṇḍala)」世界です。 そしてそのマンダラ世界を築くため、當麻曼荼羅の左縁(右辺)には、『観無量寿経』に説かれている観想法も記されております。心を調えてひとりひとりが菩薩さまの心に近づくための教えです。
當麻曼荼羅は、単なる極楽浄土の風景画ではなく、この世に調和の世界を築こうという願いと、それを実現しようという教えと、それを支えるほとけさまが描かれているのです。
お大師さまは、當麻曼荼羅から感得した「マンダラ(maṇḍala)の教え」を、中院(現・中之坊)院主・実弁和尚にお授けになりました。この時より當麻寺は真言宗となります。 お大師さまが参籠された曼荼羅堂には「参籠の間」がのこっており、お弟子の真雅僧正さまと智泉法師さまとともにお大師さまの肖像画が張壁で描かれています。 この部屋では「いろは歌」をお作りになったという伝承も残っており、また、當麻寺の境内右奥手には「大師堂」が創建され、當麻寺において大師信仰が盛んであったことを物語っています。 ところで、お大師さまが當麻寺を訪ねられた理由には、嵯峨天皇に當麻曼荼羅の印義を説くほかに、もうひとつ理由があったとも考えられています。 それは、非業の死を遂げ二上山に葬られた大津皇子の魂を鎮めるためであったということです。折口信夫博士が『死者の書』で藤原郎女(中将姫さま)に託された役割を、実際にはお大師さまが果たしておられたのですね。

02.中将姫さまと當麻曼荼羅
04.盛衰と変遷