當麻寺中之坊にて近年発見された薙刀と槍が研磨を終え、調査により中世大和派の刀工の手になるものと確認されました。戦後に奉納された備前長船派の打刀とともに室町時代の3振りが入れ替え制で順次公開されています。
令和2年に中之坊で発見された槍。
数百年の錆を落とし研磨を行ったあとの調査により、室町時代の大和派の刀工によるものと確認されました。南都寺院に属して興福寺僧兵の槍を多く手掛けた金房派の影響がみられ、當麻寺に属していた當麻派との関りにも注目されます。
刃長が一尺以上ある槍は「大身槍(おおみやり)」と呼ばれ、通常の槍にように突くだけではなく、薙刀のように払うことも可能とされます。
裏面には「樋(ひ)」と呼ばれる彫りの細工が施されており、一般には「百足樋」と呼ばれる類のものですが、一般的な百足樋に比べて、規則的で極めて精緻に刻まれており、あまりみられない丁寧で美しい彫りとなっています。
令和2年に中之坊で発見された薙刀
数百年の錆を落とし研磨を行ったあとの調査により、室町時代の大和派の刀工によるものと確認されました。
南北朝時代の様式を引き継いだ古風で質実な姿で、いかにも大和物らしい豪壮で見ごたえのある薙刀です。當麻寺には當麻派と呼ばれる刀工集団が所属し、大和五派に数えられています。當麻派が最も活躍した時代からは少し下るものの、室町時代の當麻寺周辺の刀工集団を推し量る貴重な資料といえます。
戦後に奉納された打刀
2寸ほど磨り上げられた「備州長船師景」の銘があり、備前長船派の3代また4代かと思われる師景(もろかげ)の作と知れます。
いかにも長船派らしい美しい刃文が特徴で、刀剣登録制度のはじまって間もない昭和二十六年二月に登録され、そのあと當麻寺中之坊に奉納されました。